【映画レビュー】『関心領域』ホロコーストの隣にある日常、音響、子供の視点と母親の心理

オスカー受賞作『関心領域』を鑑賞しました。第二次世界大戦下アウシュヴィッツ強制収容所の隣に住む所長一家の日常は、不気味な音と子供たちの無邪気さのコントラストが衝撃的な作品です。直接的な描写は少ないながら、壁の向こうの恐ろしさと隔てられた日常の対比に心を揺さぶられました。自身の幸せを守ろうとする母親ヘートヴィヒには複雑な感情を抱き、共感しかけた自分に不安を覚えました。

この記事では、この映画で感じた不安、印象的な音響、子供の視点、母親の心理について掘り下げます。

『関心領域』とは

空は青く、誰もが笑顔で、子どもたちの楽しげな声が聞こえてくる。そして、窓から見える壁の向こうでは大きな建物から煙があがっている。時は1945年、アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた。第76回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝き、英国アカデミー賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞、トロント映画批評家協会賞など世界の映画祭を席巻。そして第96回アカデミー賞で国際長編映画賞・音響賞の2部門を受賞した衝撃作がついに日本で解禁。

マーティン・エイミスの同名小説を、『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』で映画ファンを唸らせた英国の鬼才ジョナサン・グレイザー監督が映画化。スクリーンに映し出されるのは、どこにでもある穏やかな日常。しかし、壁ひとつ隔てたアウシュビッツ収容所の存在が、音、建物からあがる煙、家族の交わすなにげない会話や視線、そして気配から着実に伝わってくる。その時に観客が感じるのは恐怖か、不安か、それとも無関心か? 壁を隔てたふたつの世界にどんな違いがあるのか?平和に暮らす家族と彼らにはどんな違いがあるのか?そして、あなたと彼らの違いは?

https://happinet-phantom.com/thezoneofinterest/

原作

映画『関心領域』の原作は、イギリスの作家マーティン・エイミスによる小説『The Zone of Interest』(2014年刊)です。日本語訳は2024年に河出書房新社より刊行されました。本作はアウシュビッツ強制収容所を舞台に、ナチス幹部とその家族の平穏な日常と、壁の向こうにある地獄のような現実を対比させながら、人間の倫理や無関心の恐ろしさを鋭く描き出します。

おのれを「正常」だと信じ続ける強制収容所の司令官、司令官の妻と不倫する将校、死体処理班として生き延びるユダヤ人。おぞましい殺戮を前に露わになる人間の本質を、英国を代表する作家が皮肉とともに描いた傑作。2024年アカデミー賞国際長編映画賞受賞原作

https://books.rakuten.co.jp/rb/17815526/

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※ここから先はネタバレを含みますので、鑑賞後にご覧くださいね。

音響

本作品の大きな要素のひとつが「音」です。アカデミー賞音響賞を受賞しただけあり、「音」が大きな役目を果たしています。映画は真っ暗闇の画面にタイトルが表示されているところから始まります。サイレンのような不思議な音が数分こだました後、家族が穏やかな川辺で過ごしているシーンが始まるのです。

直接的な暴力の場面がほとんどない中で、壁の向こうから聞こえてくる様々な音に画面には映らない地獄の存在を強く感じさせられます。美しい庭で子供たちが遊ぶ様子や、家族が静かに食事をする場面の背景で聞こえるこれらの音は日常と非日常の残酷な対比を際立たせます。

地獄の横にある楽園

本作品ではアウシュヴィッツ強制収容所の高い壁のすぐ隣に建てられた、広々とした美しい庭のある家で暮らすヘス一家の生活が描かれています。手入れが行き届いた芝生、色とりどりの花、そして子供たちの楽しそうな笑い声は、一見すると平和で豊かな楽園のようです。しかし、その楽園のすぐ隣では、想像を絶する恐ろしさが繰り広げられています。

この二つの世界の並存は、人間の冷酷さと、目を背けたくなるような現実を直視することの難しさを観る人に突きつけます。

地獄に気づいている子供たち

壁の向こうで起きていることは、子供たちの無意識の領域に影響を与えているようです。よく手入れされた庭で遊ぶ彼らのすぐ後ろにはいつも煙が漂い、壁の向こうからかすかな叫び声や銃声が聞こえてきます。人間の歯を何気なく遊び道具にしたり弟をビニールハウスに閉じ込めて遊んだりする様子からは、死の気配が子供たちの日常にまで浸透していることがわかります。

彼らは親たちが作り上げた世界の中で無邪気に振る舞おうとする一方で、日常に入り込んでくる異質な気配から逃れられないのでしょう。赤ちゃんがひっきり無しに泣き叫んでいたり、少女が夜に眠ることができず廊下に座り込んでいたりする場面は、言葉にならない不安が彼らを蝕んでいるようにも思えました。また、子供たちの遊び声や笑顔の裏にはどこか冷淡さにも似た、周囲の環境に対する無関心が垣間見える気がします。

理想の父親がいつも理想的な人間とは限らない

ルドルフ・ヘスは、子供たちを愛し、家族が用意した誕生日プレゼントに喜ぶ姿を見せる、家族思いの心優しい父親であり、妻ヘートヴィヒにとって頼りになる夫です。彼は家族のために立派な家を用意し、子供たちの成長を温かく見守ります。しかし、その一方で、アウシュヴィッツ強制収容所の所長として、何十万人もの人々の命を奪う恐ろしい任務を遂行しているのです。

まるでいまの社会人が予算折衝や議題について冷静に会議する様子と重ねるように、彼は収容されているユダヤ人を「荷」と呼び、いかに効率的に焼却するかを考えたり、参加したパーティーの広間に集まっている人々をどうすればガスでまとめて処刑できるかを思案したりする姿が描かれています。

彼の家庭的な父親の側面と、冷酷な大量殺人者としての側面を並べて提示することで、人間の多面性と、彼らの「幸せ」な暮らしが非常に大きな犠牲の上に成り立っている事実、そしてイデオロギーがいかに個人的な関係や感情を歪めてしまうのかが問いかけられているのではないでしょうか。

母親が向ける関心は家族の幸せな暮らしだけ

ヘスの妻ヘートヴィヒは、自分が築き上げた美しい家と庭を心から愛し、子供たちの幸せを一番に願う母親です。彼女は夫の出世を喜び、家族の豊かな暮らしを守ることに一生懸命です。しかし、その関心は隣の収容所で起きている恐ろしい現実には向けられません。彼女にとって大切なのは、あくまで自分の家族の幸福であり、そのために多くの犠牲が払われているという事実から目を背けているのでしょう。

中盤、夫の異動について知らされると、彼女は「やっと手に入れた理想的な暮らし」のためにこの場所を離れたくないと激しく感情をあらわにします。彼女にとってこの場所は疑いようのない夢の楽園なのです。すぐ隣には地獄が広がっているにもかかわらず。彼女の暮らしぶりには人間の身勝手さと、虐殺に見て見ぬふりをする危険さが両立しています。

無関心の恐ろしさ

本作品では目を背けたくなるような直接的な恐ろしさを描くのではなく、ヘス一家の信じられないほどの無関心を描くことによって、ホロコーストの冷酷な現実が観る者の心に深く突き刺さる効果を生んでいます。

隣の壁の向こうでは想像を絶するほど大勢の人々の尊い命が毎日無慈悲に奪われています。しかし、ヘス一家はまるで何事もなかったかのように努め、暮らしているのです。彼らが隣で起きている恐ろしさに対する認識を完全に失っていることこそが、この映画が最も強烈に強調しようとしている核心的な恐ろしさなのではないでしょうか。

『関心領域』の教育的意義

『関心領域』はホロコースト、特にアウシュヴィッツ強制収容所に関する基礎的な知識を持つ観客にとって、その恐ろしさをより深く、そして多角的に理解させるための重要な作品と言えるでしょう。当時のナチスの人種差別、強制収容所が果たした役割といった予備知識があれば、壁の向こうにある冷酷で身の毛もよだつような恐ろしさを、より鮮明に理解できます。また、収容所の隣で生活を送るヘス一家の行動原理の深層に潜む複雑な心理構造も捉えられるでしょう。

単なる虚構の物語として消費されるべきではなく、ホロコーストという過去の過ちから学び、同様の悲劇を繰り返さないための未来への警鐘を鳴らす、歴史に対する極めて深い考察を促す教育的な題材になりうるのではないでしょうか。

ヘスのその後

映画では直接的には語られませんが、ルドルフ・ヘスは第二次世界大戦終結後に逮捕され、死刑判決を受けました。1947年4月16日、彼はアウシュヴィッツ強制収容所の跡地で絞首刑に処されました。ヘスの残した回顧録はナチスの大量虐殺を実行した側の人間が自らの行為をどのように認識していたのかを知る上で重要な歴史的文書と言えます。

へートヴィヒへの共感

毎日子育てに奮闘している私にとって、この映画で描かれる子供たちの無邪気な笑顔と、そのすぐ隣に存在する恐ろしさとの対比は、親として、人間として、重い問いを心に突き刺してきました。自分の子供たちがこのような状況に置かれたらどうだろうか。想像することさえ恐ろしいことです。しかし、ヘス一家の母親ヘートヴィヒの自分の家族の幸せだけを願い、隣で起きている恐ろしい現実に目を向けない態度は理解しがたいと同時に、もしかしたら、自分の中にも見て見ぬふりをしてしまう弱い部分があるのではないかと考えさせられました。

本作品は過去の恐ろしさを伝えるだけでなく、現代を生きる私たち自身の『関心領域』はどこにあるのか、そして何に目を向けるべきなのかを深く考えさせる貴重な機会を与えてくれました。