『プラダを着た悪魔2』を観た。
全体を通して強く印象に残ったキーワードは、「移りゆくものと変わらないもの」だ。
劇中で描かれる「移りゆくもの」は、コスト削減やAIの波、そして失われつつあるアナログな仕事。
一方で「変わらないもの」は、雑誌『ランウェイ』が守り続けてきた伝統や美学だった。
※以下、映画の結末やストーリー展開に関する重要なネタバレを含みます。
『プラダを着た悪魔2』の舞台設定と簡単なあらすじ
前作から約20年。かつてファッション界の頂点として君臨していた雑誌『ランウェイ』も、紙媒体の衰退、デジタル化やAIの台頭、そして容赦のないコスト削減の荒波に晒されていた。
編集長として今なおトップに居続けるミランダ・プリーストリー。だが、SNS時代のコンプライアンスやスポンサー離れの危機が彼女を追い詰める。そんな中、念願のジャーナリストとして活躍しながらも突然の解雇に見舞われたアンディ、そしてディオールの幹部へと登りつめたかつての第一アシスタント・エミリーの3人が、激変する業界のなかで再び交錯していく。
20年の歳月とエミリーの変化――野心と泥臭さを演じきったエミリー・ブラント
前作のエミリーはメラメラと闘志に燃えていた。ミランダに認められたい一心で仕事に邁進する、ある種の承認欲求の塊だったと思う。
でも今作の彼女はずいぶんと印象が違った。感情を心の内にわざと隠しているような雰囲気がある。それが大人になるということなのか、20年という時代の流れなのか。結婚して2児の母になり、離婚。大金持ちの彼氏と人前でイチャイチャする姿は、前作とはまるで別人だ。
しかも彼女はランウェイを退職し、DIORの幹部になっていた。雑誌の行方を左右する立ち位置にまで登りつめている。「エミリーも20年頑張ってきたんだな」と、最初はなんだか感傷に浸ってしまった。
だが、終盤で印象が大きく変わる。彼女は大金持ちの彼氏を「利用」してランウェイを買収し、ミランダから編集長の座を奪おうとしていたのだ。ミランダに忠誠を誓っていた彼女がどうしてそうなったのか、その経緯は具体的には描かれない。けれど、ひとりの女性のキャリアとして、第一アシスタントだった彼女が次に目指す場所が編集長だったというのは想像に難くない。
結果的にその目算はミランダによって外れるわけだけれど、ここで脱帽したのがエミリー・ブラントの演技力だ。行動だけを見れば、ただの裏切り者やヴィラン(悪役)になりかねない。なのに彼女は、ずる賢い悪者ではなく、人間らしい泥臭さを持ち合わせたひとりの女性として見事に着地させていた。その生々しい説得力に唸らされた。
変わらない芯の強さと、アンディが再び直面した「現実」
前作のラストでジャーナリストの道へ進んだアンディ。今作の冒頭で彼女はとある賞を受賞するものの、その栄光の瞬間に仲間たちとともに理不尽な解雇を言い渡される。メディア業界の厳しい現実とコスト削減の波。それがきっかけとなり、彼女は皮肉にも再び『ランウェイ』の門を叩くことになる。
久しぶりに見るアンディは、負けん気が強くて怖いもの知らず、芯があってつい突っ走ってしまう性格が前作のまま引き継がれていた。エミリーが20年の歳月で「したたかな大人」へと変化したのに対し、アンディはどこまでも「変わらない不器用な情熱」を抱え続けている。このふたりの対比がとても面白い。
ただ、ストーリー運びには少し引っかかる部分もあった。前職の元同僚たちと良好な関係を保ったままランウェイの仕事が進んでいく様子はどこか都合が良すぎるし、編集部内で味方をしてくれるのがナイジェルと第二アシスタントの男性くらいという孤立感も、かつての再現を見ているような既視感がある。一緒に動くアジア系のインターン女性も、いまひとつキャラクターとしての印象を残せていなかった。
特に気になったのが、ルームシェアしている友人と新居の内見へ行く中で出会った男性とのロマンス描写だ。「これ、物語に本当に必要だった?」というのが正直な本音だ。映画としての華やかさや、「仕事も恋も両立する現代のタフなキャリア女性」を描くための記号として入れたかったのだろうけれど、仕事と業界のサバイバルを泥臭く描く本筋に対して、少し浮いて見えてしまったのが惜しいところだった。
時代の波に揺らぐ絶対君主――ミランダが見せた「衰え」と生き残り
SNSで炎上し、ネットで誹謗中傷の対象となり、それが『ランウェイ』のスポンサーにまで影響を及ぼす。決して他人に頭を下げたりはしないものの、事態の収拾のために裏で奔走する冒頭のミランダの姿には、前作にはなかった一種の「衰え」を感じさせられた。
会議で不用意なパワハラ発言をしてアシスタントに窘められる場面もある。日本で言う「昭和の価値観」と揶揄されるような、かつて通用していた絶対的な支配力や仕事のスタイルは、もはや現場の若い世代には通用しない。時代の変化とコンプライアンスの波が、確実に彼女の足元を侵食していた。
さらに後半、大口スポンサーの急死によって『ランウェイ』は存続の危機に立たされ、エミリーによる買収・乗っ取りの危機に直面する。そのとき彼女が見せたのは、パートナーの前で狼狽えるという、かつての氷の女王からは想像もつかない弱さだった。その取り乱した姿を目にしたとき、ついに「絶対君主の落日」を見るのだと、誰もが彼女の引退を予感したはずだ。
スポンサーと自分自身を「タイタニック」に例えたことからも、ミランダ自身、編集長としての寿命が残りわずかであることを自覚していたに違いない。沈みゆく船の船長としての自覚。
しかし結局のところ、ミランダは編集長として生き延びる道を選び、椅子にしがみついてみせた。
彼女が潔く引退し、次世代の手によって新たな『ランウェイ』へと生まれ変わる――そんな美しい世代交代をどこかで期待していたけれど、今作が描いた現実は違っていた。老兵は去らず、泥をすすってでも王座に君臨し続ける。その執念こそが、ミランダという怪物たる所以なのかもしれない。
ラストの結末に感じたモヤモヤと後味
結末について、私としてはミランダが隠居するラストが世代交代や時代の移り変わりを象徴するようで理想的だった。
けれど、結局ミランダは君臨したまま幕を閉じる。どこか夢物語で終わってしまったような感覚があって、正直少しモヤモヤは残った。しかし、今作のなかで「変わらないもの」と「変わりゆくもの」の対照となっているように感じた。
映画を見終えたあとは不思議と気持ちがよく、これはこれでよかったのかもしれない。プリティ・プリンセス同様、アン・ハサウェイが出演する映画は鑑賞後の感情がスッキリするイメージがある。心がどこかすっと軽くなるような作品だった。